水をたっぷり与えて 束ねてひもでくくって包んで

鉄血ショックにより日陰でじっと過ごしていたら時間薬が効いたみたいで今さらですがやっとやっぱり鉄血さんが好きだよと静かに思い返すことができました。

まだ二期の最終回から半年ちょっとの時点ですが気持ちの上での経過を書き捨て。

銃声で始まって銃声で終わる形もひとつの様式なのかなと思いますが、身内に故郷の村を焼かれて悲しく滅びさるよりは焼け跡から立ち上がって次の弾を撃てる世界のほうが好きです。

アニメの最終回としては未体験レベルの大変ショックな終わり方で、あまりにも何もかもが辛いので一体何がそんなに辛いのかと自己分析を始めては受け止めきれない感情の起伏に辛さが膨らむ一年でした。

個人的に一番辛いところは作中のキャラクターの過去や未来やもしかの話をあれこれと考える余地が原作基準で残されなかったことにつきます。妄想の余地を許さない拒絶はとても強い否定です。作品の中にあったキャラクターとその習性は最終回で完全に停止してしまいました。テレビで放映しているアニメを見るという趣味をひとつのお庭にたとえると、ここの土にはもう同じ鉄の花は生えてきません。生えたとしても、それはよそのお庭から飛んできた鉄の花とは違う種が自由気ままに伸びるだけだろうな、という気持ちです。

逆に、何も残しておかないと、そこにかつてどんな花が咲いていたのかも忘れてしまうかもしれません。

なので、ふと今までに作品として触れたことのあるアニメや小説のことを思い出しました。 たくさんの好きなものがいつの間にかかつて好きだったものに変わってしまっていましたが、たくさんの作品の中にあるたくさんの好きな要素は栄養です。きっと食べたら元気になります。

今までのいろんな好きなこと。そうですね、特に軽薄なSFが好きです。それと便利なご都合主義とか。設定の端々で考察したり遊んだり。そういえば死体や葬儀がキーワードめいていたけれど最後の最後でスッと抜けたなあ、そういうのももしかしたらある種の優しさなのかもしれない。

格差のある世界感に付随するのは現実としてただ貧富のみでも、見方を変えれば突飛な設定で思い描く余地があったかもしれないなあ。

最終回ショックでどうにもならない急性症状が出たのは今までアニメを楽しく見ていた立場としては言葉が詰まってしまうほどに悲しくて、言い訳ができないほどみじめでした。最終回が悲しくて泣きましたが、それまで一生懸命好きで追いかけていた自分があまりにも情けなくてみっともなくて泣きました。

もうアニメを見て絶望するのは、あれこれ妄想する余地がないというひどく自分勝手な思い込みに過ぎなかったということにしたいです。